9月末に平泉の地を散策して来ました。

無知な私は、平泉=中尊寺金色堂というイメージしかなく、しかもその中尊寺が
誰によっていつ建立されたのかも知らなかったので、旅行前に大学の図書館で
読み切れぬほどの資料を借りてきて、小学生の修学旅行よろしく「旅のしおり」
を作って平泉に向かいました。

京都から東海道新幹線・東北新幹線を乗り継いで一ノ関で一泊し、翌朝ホテルの車
で平泉駅まで送ってもらい、コインロッカーに荷物を入れ「老夫婦平泉遠足」のスタートです。
好天に恵まれて、まさに遠足日和!

平泉駅を出て観自在王院跡・毛越寺へ歩いて向かおうとすると、誰もいない・・・
この道でいいんだろうか?と不安になるくらい誰も歩いていません
平泉駅から毛越寺まで約800m、結局誰にも出会うことなく観自在王院跡に到着
ここは奥州藤原氏二代基衡の妻が建てたと伝えられ、現在は舞鶴が池が修復再現
され、大阿弥陀堂・小阿弥陀堂は遺構だけが残っています。誰一人いない観自在王院
跡に立つと
三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。
秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す。
「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と、
笠打敷て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ。
夏草や兵どもが夢の跡 (1)
と奥の細道に書かれた一節が目の前に浮かんでくるようでした。
芭蕉は「まづ高館に登れば」と書いているので、現在の高館義経堂から見下ろして
「田野に成」った観自在王院跡を眺めたのではと思われます。


観自在王院跡の隣接する毛越寺に入ると、修学旅行生の小グループが一組と
観光客が少しいるだけで、こちらも誰もいないに等しい状況

往時の伽藍は現存しておらず、浄土庭園が平安様式のままに残り、特に遣水(やりみず)は
「12世紀に設計された遣水のなかでは、当時の姿のまま残存する唯一のもの」(2)
と言われ、川底に敷き詰められた玉石が900年近くも昔のものと思うと不思議な感覚を覚えました
さて毛越寺から1,4km歩いて中尊寺まで。この道中も、レンタサイクルの人に2-3人
会っただけで、誰もいません
駅前のレンタサイクルを借りて、歩かずに周りたかった私は、夫に
「ほら、誰も歩いて観光なんかしてへんやん!」
と愚痴ってしまいました

中尊寺に着くと、さすが観光客がそこそこいますが、コロナ禍前の清水寺や
伏見稲荷の参拝客程度で全く苦になりません。
苦になったのは坂道!
「月見坂」と優雅な名前ですが、凹凸の不整な歩きにくい坂道が山門から延々と
続き、思わず「もう二度と中尊寺には来ない!」と言いたくなったほどです。
まるで長命寺の階段を上っているような気分になりながら金色堂にたどり着き
ました。
奥州藤原氏初代清衡によって1124年に上棟され、東北地方では現存最古の建物
です。
ガラスに覆われているので仏像も須弥壇もはっきりと見えませんでしたが、
藤原清衡、基衡、秀衡の遺体と四代泰衡の首級が安置されているのですから、
見えない云々と言うのは罰が当たると言うものでしょう。
経堂は三将の像を残し、光堂は三代の棺を納め、三尊の佛を安置す。
七寶散りうせて、珠の屏風に破れ、金の柱霜雪に朽ちて、すでに
頽廢空虚の叢となるべきを四面新たに圍んで、甍を覆うて風雨を凌ぐ。
しばらく千歳の記念とはなれり。
五月雨の降りのこしてや光堂(3)
金色堂を後にして、またゴロゴロと歩きにくい月見坂を下り、門前の蕎麦屋さんで昼食を済ませて
平泉駅まで歩いて戻りました。
駅までの帰り道も当然人っ子一人なし!
平泉駅から仙台まで在来線で戻り、仙台在住の友人夫妻と8年ぶりに会って夕食を共にしました。
蔵王クマ吉スキー教室で会ったきりなのに、8年間も会っていなかったとは思えません。
おしゃべりに夢中でクマ吉さんとのツーショット写真を撮り忘れたのが残念無念・・・


翌朝も見事に晴れ渡り、ホテルの窓からは東北大学のキャンパスが見渡せて
はるか彼方には、仙台湾も見ることができました
東北大学の構内を歩いてみたかったのですが、時間がなく眺めただけに終わりました。

仙台駅で買った「ずんだシェイク」
少し甘めでしたが美味しかったです
京都の喧騒に日々苛まされる身には、人がいない静けさが如何に心の平安を
もたらしてくれるかを実感した平泉の旅でした。
(1)(3)松尾芭蕉『奥の細道』角川書店,1952年,27頁
(2)観光庁https://www.mlit.go.jp/tagengo-db/H30-00186.html?utm_source=chatgpt.com