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鈴鹿南ドライビングレッスン

  • 11 田中選手
    1月末というのに、皆の精進がよいのか抜けるような青空と暖かさに恵まれてのドライビングレッスンでした。

医療

May 18, 2024

あっという間の27年

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1997年5月に小さな店?を始めてから27年も経ってしまいました。
あっという間の27年で、その間いろいろな事がありましたが
開業当時からのスタッフが支えてくれるのが何より嬉しく誇りです

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今秋には、新しい形態になる予定ですが、このメンバーで引き続き仕事ができることを祈っています

September 02, 2023

4年ぶりの対面講演会&座長

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COVID-19が世界を席巻してから丸3年半以上経過し、その間にありとあらゆる社会状況人々の関係性が変わってしまいました。
仕事関係の学会、講演会、会議等は全てweb開催になり、画面越しでの対話しかなく誰かと会って話をすることを忘れてしまったような時間=日々でした。

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今回2019年秋以来の対面での学術集談会が開かれ、不束ながら座長をさせて頂きました。
申し込み出席者数が少なく以前のようには戻らないのだなと思いつつ蓋を開けたら予想以上の出席者がありびっくりしました。皆さん、対面だと以前のように事前に申し込みせずに直接行けばいいと思っておられたようです。
顔をみて講演を聞き質疑応答するのは、やはり画面越しとは全く違い、話は直に聞くものだなあという思いを新たにしました。

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ショックだったのは、 数年ぶりに着たスーツのスカートのウェストが窮屈だったこと。
体重はほとんど変化ないのに、3年間の運動不足と加齢性変化の賜物のようです。
頑張って運動しなくては・・・

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学術集談会終了後は、仲良しで足洗い。
はりまやダイニングさんで、秋の風情を頂きました。
土瓶蒸しはどこでも見かけますが、鈴虫の籠に見立てた器は初めてで、あまりの愛らしさに思わず見とれてしまいました。 

February 19, 2023

京都マラソン

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今日は
京都マラソンの救護所出務
3年前と同じ荒神橋西詰(32km地点)です

前夜も当日朝も結構な雨で、身体も靴の中までも水浸しになった状態でスタートになりました。
速い人は走りながら体温を保つことができるのでいいのですが、完走目標のランナーの人達は昼過ぎからの気温の低下で体温を奪われ、途中歩いたりすると体内で熱を産生できずさらに体温が下がるという状態になり
低体温と足の攣りで駆け込む人が多く、救護所で対応した人が13名もありました。
救護所に入らず沿道対応も数名ありました。

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そんな悪条件でも
トップランナーは
10:46に通過
山中伸弥先生も11じ時半過ぎに通過
皆さん信じられないほど速いです

うちのスタッフも3年前より速く通過!
彼女も悪条件に負けずに健闘して見事でした。

私は走るわけでもないのに、6時間立ち詰めで、ずっと拍手して声掛けて応援してたので、手も喉も痛く
帰宅したら、結構疲れていて改めて年老いたなあと実感しました。

私もちょっとはジョギング再開せなアカンかな?・・・

September 18, 2022

Luke受難の日

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我が家に来た時から懸案事項だったLukeの停留睾丸の手術がようやく終わりました。
鼠径部あたりにあれば、短時間で終わったのですが、右睾丸が腎臓横に「停留」していたので、傷も大きく手術時間も長くなりLukeにとってえらい日になってしまいました。

一晩入院して翌日元気に退院して来たのですが、カラーがあちこち当たって音がして怖いのと、傷口が痛むのかあまり動こうとしません。退院した11日はカラーに慣れていないので、横になるのも怖いらしく、座ったままこっくりこっくり居眠りしているので、可哀想で寝たらいいよというのですが寝ません。ひょっとしたら、これなら寝るかも・・・と夏場は暑いのでしまっていたお皿=犬用ベッドを出してやると、そそくさと入り毛布をカラーの台にして上手に寝ていました。

18日に傷もおさまりカラーを外してやると、やった〜と言わんばかりに、いつものお気に入りの寝場所に入り込んで寝ていました。
もうこれで、一生手術しなくていいからね、ルーク

October 06, 2021

豆ちゃん 末期腎不全

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2004年12月20日に我が家にやってきた豆太郎
あっという間に17歳のおじいちゃん猫になりました
この数ヶ月急にやせてきてコツコツと皮下に骨が触るようになり、少し気にはなるものの加齢のせいかと獣医さんに受診もせずにいました

 

先週末10/2深夜から突然に嘔吐を繰り返し、食欲もなく、逃げ足もヨロヨロとしてきたので、今日かかりつけの獣医さんに行ったところおそらく慢性腎不全でしょうと言われ、血液検査結果で「末期腎不全」と診断受けました


「ここまでに多飲多尿の時期があったはずなんですけどねえ〜」
と言われ、そういえば夏の間 異様に水の容器の減りが早く、猫砂も大量の固まりがあったのですが、暑さでたくさん飲むのだろうと思っていた私のfaultです

これから300ml/日の皮下輸液と週1回のネスプ注の指示を受けました。
当面の間は輸液を続けるとして、さていつまで、どこまでケアをすべきか悩んでいます

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(輸液受けて帰宅した豆太郎です)

 

人間と違って痛いともしんどいとも言えず、私らが1日でも長生きしてほしいと延命のために手を尽くしても本人は苦痛が長引いているだけかもしれません。本来野生動物なら自分で飲み食いできなくなった時が寿命なので、人間の勝手であれこれケアするのが本当に動物のためになるのか・・・判断ができず苦しいところです。

 

ノコの時に、あまりに手を加えすぎたのではと後悔したので、豆太郎には苦痛なく寿命が全うできるように助けてやれたらと思っています。

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あとどれだけ一緒に暮らせるか、誰にも予想はつきませんが、もう一度 以前のように私の枕を占拠してくれるまで回復するといいなと願っています

May 18, 2020

ゴーストタウン京都

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3月2日から小中学校が休校になり、4月7日に7都府県に緊急事態宣言が出されて以来、京都の町から人の姿が消えました
昨年末には「観光公害」の対策をどうするかと論じられていたのが嘘のようです。
5月3日GW連休のど真ん中、本来なら車と人であふれかえっている四条河原町の交差点も上の写真の通りで、多くの店がシャッターを下ろして路上駐車はもちろんのこと歩行者もまばらです
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5月18日に所用で祇園町の中をママチャリで通過したのですが、久しぶりに入った祇園町の中も人っ子1人いないと言っても過言ではない状態でした。
いつもは自転車で走るのが危険な縄手通りも車がほとんど走っておらず、貸切状態で安全に走れました。
四条通りに面するお店も大多数がお休みで、四条縄手の角から祇園さん(八坂神社)が何の障害物もなくスットーンと見える不思議な光景です。
南座・川端の方を向いても、四条通りに歩行者がいない! 
京都に住んで30年弱にしかなりませんが、こんな光景は初めてです。
花街も休業自粛&お稽古も全て休みなので、舞妓ちゃんたちは髪を下ろしており、近所の方からは「学生さんみたいな格好して歩いてやるから誰かわからへん」と言われています。

こんな「ゴーストタウン京都」を見ていると、COVID19が収束したら町の風景が良くも悪くも変わってしまうだろうなあと思います。
観光公害は堪忍ですが、1日も早く日常の賑やかさが戻って欲しいと切に願います

February 17, 2019

京都マラソン 

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京都マラソンで走ってきました・・・と言えたらいいのですが、そんな脚力はなく、スポーツ医として初めて出務してきました。

救護室に待機しているだけかなと思っていたら、選手応援が業務のほとんどでした。荒神橋たもとで、コースの中で一番コース幅が狭い場所で一般の応援者は立ち入り出来ませんが、ボランティア含めスタッフはコース沿いに位置して、ランナーの状態を確認しながら応援しました。

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荒神橋の救護所は、32km地点でいわゆる「30km、35kmの壁」の地点になり、選手みなさんが一番しんどい地点になります。速い選手たちは、私達の声援など不要で、声をかける間も無く力強いピッチであっという間に走って行かはりますが、後半になると明らかに脚が攣って歩いている人や肩で息をして苦しそうな人が一気に増えます。

Doctor・医師とデカデカ書いてあるビブを付けていたせいでしょうか、「助けて、なんか言うて」という表情を投げかけはる人が多く、中には

「ロキソニンありませんか?」 

「脚が攣りかけてるんですけど・・・」 等々

走りながら相談もちかける方もいはりました。

どうしたら、今のしんどい気持ちを持ち直してもらえるかなと言葉を探している時に思い出したのは、ツールド沖縄の時に沿道の人達からかけて頂いた声援の言葉でした。

特に今帰仁の坂で「もう降りて押して上がりたい」と思っていた時に

「ちばりよ〜! 坂は、もうこの先ないからね〜!」と声をかけてもらい頑張れたのを思い出しながら、しんどそうにしている選手の皆さんに届けばいいなと思い、必死に檄を飛ばしてきました。

肝心の業務は、幸い重傷者はなく、AEDも救急車も出番がなくて済みよかったです。

来年も同じ場所で、選手の皆さんに少しでも役に立てればいいなと願っています。

September 21, 2014

「食べれる・しゃべれる」ことの有難さ

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今日は、ライムもCilantroも手に入ったので(蛸も入っています)、ようやく本物っぽいCeviceが出来、エリに合格点もらいました。ライムを絞るとレモンよりふわっと甘いというか華やかな香りが立ち、Cilantoroとの相性も抜群で素材は手を抜いたらアカンと反省。

 私は、先週17日に左下小臼歯・大臼歯 計4本の手術を受けました。4本欠損(同時ではない)した理由は長くなるので割愛しますが、4本分の歯肉を切開して下顎骨に侵襲を加えたので、予想以上に痛みと腫れがひどく、開口制限もあり、術後数日は食事を摂ることが出来ず、アイスクリームを少しずつ口に入れて過ごしていました。その上に縫合糸の断端が舌に当たって、アフタ性潰瘍が出来たので、術後2日目位から舌を動かすと痛くて、うまく話せなくなりました。「こぶ取りじいさん、ろれつが回らない」状態です。
 そんな状態の時に限って仕事は忙しく、会話せざるを得ない状況でしたが、幸いマスクで「コブ=腫れ」を隠していたので、言葉がくぐもっても怪しまれずにすみました。こんな状態なので、当然運動はドクターストップ。悪い患者だけど指示を無視して動いてみようと昼休みにママチャリで買い物に行ったら、走り出してしばらくしたら患部が脈打ってザクザクと痛み、これは当分運動出来ないと悟りました。
 こんな状態になって、ようやく舌ガンや口腔ガンの手術を受けた方の痛み、不自由さを思っています。私がこぶ取りじいさん状態とは言え、下顎骨や舌そのものを切断したり、再建したわけではなく、それでもこんなに腫れて痛くて食べれず、話せず、とても気分が落ち込んでいるのに、悪性疾患で侵襲の大きい手術を受けた方の辛さは想像出来るなどと簡単に言ってはならないでしょう。
 20年ほど前に左膝前十字靭帯再建術を受けた事があるのですが、口腔内と違って腫れも痛みもさほど辛いと感じず、何より食事も会話も普通に出来ましたので、この「食事・会話」で術後の精神的負担(疲労)が全く異なってくるとしみじみ感じています。
 早く、普通に食事・会話が出来て、運動も出来る様になりたいです。

March 03, 2011

寄せ書き

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入試の時期になると、なぜか毎年必ず誰か(ほとんど中学生)が骨折してやってきます。

そして入試直前にギプスを巻いて、試験を受ける羽目になるのですが、今年は2月に入っても誰も来ないので、平和な年だなあ・・・と思ってたら、やっぱり来ました。

中3のY君。保健の先生に連れられて来院。私立高校の入試前日にギプスを巻くことになり、保健の先生から

「大丈夫やって! 去年K君もギプス巻いたからXY高校合格しやったし!」

・・・・・んん、理屈が通るかどうか別にして、励ましそうとしてくれはる熱意は皆によく伝わりました。

Sp1040466 ギプスを巻いた甲斐あってかどうか、Y君無事に第一志望校に合格。合格発表後にギプス巻き替えに来た時には、写真のような状態。

ギプスの落書きはよくあることで、珍しくも何もないのですが、学年全員(といっても2クラス52人)が書き込んでくれた合格祝いの寄せ書きは初めて見ました。

切るのがためらわれる状態ですが、何とか復元して読みやすい位置で切り、縁取りのテープもきれいに外して、全て持って帰ってもらえるようにしました。

お友達の思いを大事に持って、高校生活頑張ってね!Y君

July 29, 2007

山室隆夫名誉教授喜寿祝賀会

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7月28日山室隆夫名誉教授の喜寿祝賀会に花束贈呈係りとして参加してまいりました。

この手の係りは、もっと若い女性の役目と思うのですが、今回山室教授在任期間中に入局したか、教官として在籍していた人に限って催された祝賀会なので、参加女性は100名中2人だけ、そして私が年下・・・という事情でお役目が回ってきました。

こんな晴れの舞台に上がらせて頂くのに、小紋では失礼と、薄物の付下げを新調しました。(蔭の声;口実!)

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在任期間のS52年からH5年まで、年を追っていろんな方が思い出話をされて、私が知らなかったことをたくさん知ることができ、本当に意義深い祝賀会でした。

いろんな意味で、教授職が一番うまく機能していた時代だったような気がします。 今後は、教授の退官祝賀会といっても、教室員という帰属意識のある人がまずないので、企画できるかどうかわからないような気がします