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COVID-19が世界を席巻してから丸3年半以上経過し、その間にありとあらゆる社会状況人々の関係性が変わってしまいました。
仕事関係の学会、講演会、会議等は全てweb開催になり、画面越しでの対話しかなく誰かと会って話をすることを忘れてしまったような時間=日々でした。
今回2019年秋以来の対面での学術集談会が開かれ、不束ながら座長をさせて頂きました。
申し込み出席者数が少なく以前のようには戻らないのだなと思いつつ蓋を開けたら予想以上の出席者がありびっくりしました。皆さん、対面だと以前のように事前に申し込みせずに直接行けばいいと思っておられたようです。
顔をみて講演を聞き質疑応答するのは、やはり画面越しとは全く違い、話は直に聞くものだなあという思いを新たにしました。
ショックだったのは、 数年ぶりに着たスーツのスカートのウェストが窮屈だったこと。
体重はほとんど変化ないのに、3年間の運動不足と加齢性変化の賜物のようです。
頑張って運動しなくては・・・

学術集談会終了後は、仲良しで足洗い。
はりまやダイニングさんで、秋の風情を頂きました。
土瓶蒸しはどこでも見かけますが、鈴虫の籠に見立てた器は初めてで、あまりの愛らしさに思わず見とれてしまいました。
我が家に来た時から懸案事項だったLukeの停留睾丸の手術がようやく終わりました。
鼠径部あたりにあれば、短時間で終わったのですが、右睾丸が腎臓横に「停留」していたので、傷も大きく手術時間も長くなりLukeにとってえらい日になってしまいました。
一晩入院して翌日元気に退院して来たのですが、カラーがあちこち当たって音がして怖いのと、傷口が痛むのかあまり動こうとしません。退院した11日はカラーに慣れていないので、横になるのも怖いらしく、座ったままこっくりこっくり居眠りしているので、可哀想で寝たらいいよというのですが寝ません。ひょっとしたら、これなら寝るかも・・・と夏場は暑いのでしまっていたお皿=犬用ベッドを出してやると、そそくさと入り毛布をカラーの台にして上手に寝ていました。
18日に傷もおさまりカラーを外してやると、やった〜と言わんばかりに、いつものお気に入りの寝場所に入り込んで寝ていました。
もうこれで、一生手術しなくていいからね、ルーク
2004年12月20日に我が家にやってきた豆太郎
あっという間に17歳のおじいちゃん猫になりました
この数ヶ月急にやせてきてコツコツと皮下に骨が触るようになり、少し気にはなるものの加齢のせいかと獣医さんに受診もせずにいました
先週末10/2深夜から突然に嘔吐を繰り返し、食欲もなく、逃げ足もヨロヨロとしてきたので、今日かかりつけの獣医さんに行ったところおそらく慢性腎不全でしょうと言われ、血液検査結果で「末期腎不全」と診断受けました
「ここまでに多飲多尿の時期があったはずなんですけどねえ〜」
と言われ、そういえば夏の間 異様に水の容器の減りが早く、猫砂も大量の固まりがあったのですが、暑さでたくさん飲むのだろうと思っていた私のfaultです
これから300ml/日の皮下輸液と週1回のネスプ注の指示を受けました。
当面の間は輸液を続けるとして、さていつまで、どこまでケアをすべきか悩んでいます
(輸液受けて帰宅した豆太郎です)
人間と違って痛いともしんどいとも言えず、私らが1日でも長生きしてほしいと延命のために手を尽くしても本人は苦痛が長引いているだけかもしれません。本来野生動物なら自分で飲み食いできなくなった時が寿命なので、人間の勝手であれこれケアするのが本当に動物のためになるのか・・・判断ができず苦しいところです。
ノコの時に、あまりに手を加えすぎたのではと後悔したので、豆太郎には苦痛なく寿命が全うできるように助けてやれたらと思っています。
あとどれだけ一緒に暮らせるか、誰にも予想はつきませんが、もう一度 以前のように私の枕を占拠してくれるまで回復するといいなと願っています
3月2日から小中学校が休校になり、4月7日に7都府県に緊急事態宣言が出されて以来、京都の町から人の姿が消えました
昨年末には「観光公害」の対策をどうするかと論じられていたのが嘘のようです。
5月3日GW連休のど真ん中、本来なら車と人であふれかえっている四条河原町の交差点も上の写真の通りで、多くの店がシャッターを下ろして路上駐車はもちろんのこと歩行者もまばらです
5月18日に所用で祇園町の中をママチャリで通過したのですが、久しぶりに入った祇園町の中も人っ子1人いないと言っても過言ではない状態でした。
いつもは自転車で走るのが危険な縄手通りも車がほとんど走っておらず、貸切状態で安全に走れました。
四条通りに面するお店も大多数がお休みで、四条縄手の角から祇園さん(八坂神社)が何の障害物もなくスットーンと見える不思議な光景です。
南座・川端の方を向いても、四条通りに歩行者がいない!
京都に住んで30年弱にしかなりませんが、こんな光景は初めてです。
花街も休業自粛&お稽古も全て休みなので、舞妓ちゃんたちは髪を下ろしており、近所の方からは「学生さんみたいな格好して歩いてやるから誰かわからへん」と言われています。
こんな「ゴーストタウン京都」を見ていると、COVID19が収束したら町の風景が良くも悪くも変わってしまうだろうなあと思います。
観光公害は堪忍ですが、1日も早く日常の賑やかさが戻って欲しいと切に願います
救護室に待機しているだけかなと思っていたら、選手応援が業務のほとんどでした。荒神橋たもとで、コースの中で一番コース幅が狭い場所で一般の応援者は立ち入り出来ませんが、ボランティア含めスタッフはコース沿いに位置して、ランナーの状態を確認しながら応援しました。
荒神橋の救護所は、32km地点でいわゆる「30km、35kmの壁」の地点になり、選手みなさんが一番しんどい地点になります。速い選手たちは、私達の声援など不要で、声をかける間も無く力強いピッチであっという間に走って行かはりますが、後半になると明らかに脚が攣って歩いている人や肩で息をして苦しそうな人が一気に増えます。Doctor・医師とデカデカ書いてあるビブを付けていたせいでしょうか、「助けて、なんか言うて」という表情を投げかけはる人が多く、中には
「ロキソニンありませんか?」
「脚が攣りかけてるんですけど・・・」 等々
走りながら相談もちかける方もいはりました。
どうしたら、今のしんどい気持ちを持ち直してもらえるかなと言葉を探している時に思い出したのは、ツールド沖縄の時に沿道の人達からかけて頂いた声援の言葉でした。
特に今帰仁の坂で「もう降りて押して上がりたい」と思っていた時に
「ちばりよ〜! 坂は、もうこの先ないからね〜!」と声をかけてもらい頑張れたのを思い出しながら、しんどそうにしている選手の皆さんに届けばいいなと思い、必死に檄を飛ばしてきました。
肝心の業務は、幸い重傷者はなく、AEDも救急車も出番がなくて済みよかったです。
来年も同じ場所で、選手の皆さんに少しでも役に立てればいいなと願っています。
入試の時期になると、なぜか毎年必ず誰か(ほとんど中学生)が骨折してやってきます。
そして入試直前にギプスを巻いて、試験を受ける羽目になるのですが、今年は2月に入っても誰も来ないので、平和な年だなあ・・・と思ってたら、やっぱり来ました。
中3のY君。保健の先生に連れられて来院。私立高校の入試前日にギプスを巻くことになり、保健の先生から
「大丈夫やって! 去年K君もギプス巻いたからXY高校合格しやったし!」
・・・・・んん、理屈が通るかどうか別にして、励ましそうとしてくれはる熱意は皆によく伝わりました。
ギプスを巻いた甲斐あってかどうか、Y君無事に第一志望校に合格。合格発表後にギプス巻き替えに来た時には、写真のような状態。
ギプスの落書きはよくあることで、珍しくも何もないのですが、学年全員(といっても2クラス52人)が書き込んでくれた合格祝いの寄せ書きは初めて見ました。
切るのがためらわれる状態ですが、何とか復元して読みやすい位置で切り、縁取りのテープもきれいに外して、全て持って帰ってもらえるようにしました。
お友達の思いを大事に持って、高校生活頑張ってね!Y君
7月28日山室隆夫名誉教授の喜寿祝賀会に花束贈呈係りとして参加してまいりました。
この手の係りは、もっと若い女性の役目と思うのですが、今回山室教授在任期間中に入局したか、教官として在籍していた人に限って催された祝賀会なので、参加女性は100名中2人だけ、そして私が年下・・・という事情でお役目が回ってきました。
こんな晴れの舞台に上がらせて頂くのに、小紋では失礼と、薄物の付下げを新調しました。(蔭の声;口実!)
在任期間のS52年からH5年まで、年を追っていろんな方が思い出話をされて、私が知らなかったことをたくさん知ることができ、本当に意義深い祝賀会でした。
いろんな意味で、教授職が一番うまく機能していた時代だったような気がします。 今後は、教授の退官祝賀会といっても、教室員という帰属意識のある人がまずないので、企画できるかどうかわからないような気がします